残念ながらべた惚れ

「頼もう!」
道場の床磨きをしている真っ最中に、思いきり扉が開いた。
武田道場は、甲斐周辺ではすっかり名が知れ渡り、数々の道場破りが訪ねてくることも少なくない。
声の調子から女であると察し、また新手かと背中を向けたまま雑巾を絞りつつ答える。
「悪いけど今日は定休日なんだよね」
「では、貴様で構わないが?」
「じょーだん…」
女のくせに度胸があるなと振り替えれば、そこには見慣れた姿。
「げ、かすが!」
「げ、とはなんだ げ、とは」
「い、いや、こんな姿見られたくなかった―――てか何しにきたの?」
「道場破りに」
「いやいやおかしいでしょ」
冷静に突っ込むも、彼女の表情は穏やかだ。
「謙信様がな、せっかく鍛練をするなら武田の道場でも破れば武田信玄に一泡ふかせられますね、と仰ったからな」
「いやいやいやそんな気軽に来ちゃだめでしょ、それに今日は定休日だって」
「ではお前を倒せば道場の看板はもらえるということだな」
「オレサマの首が飛んでもいいならね」
「よし、やろうか」
「ね、人の話聞いてた?」
かすがは強引に話をつけると、さっさと準備をしろと言ってくる。なんだかんだと強引なところ、嫌いじゃない。
だがマジでこのまま勝手に勝負なんか受けたらそれだけで減俸もんだ。なんとか回避できないかと考えを巡らせた。
「じ、実はさぁ」
「…言い訳は聞かないぞ」
「い、いや闘うのは別に構わないんだけどさ、実はこの道場、最近つばめが入り込んでさ」
「つばめ?」
「そ、そう。ほら、あの隅につばめの巣があるだろ?」
そういって指である一角を指し示す。確かにあそこには鳥の巣が置いてあった。昔旦那が商売繁盛の祈願としてつばめを呼ぼうとこしらえたものだ。商売繁盛もなにも道場なんだから関係ない。
結局、与えられた巣には満足しないものなのか、つばめは来なかったが。
かすがは空っぽのつばめの巣を真剣に見つめている。
「でさ、こんなところでドタバタやるのはつばめにもよくないと思うわけよ」
「……」
かすがはすこぶる意外そうな顔をしている。
「…本気でいっているのか?」
「本気本気~!」
「…お前がそんなに優しい奴だったとはな…」
「でしょでしょ」
「誉めていない」
「まぁとにかくそんなわけで場所変えてくんない?」
「……」
かすがは複雑な表情をしながらも静かに頷いた。
「…そーいうとこだよね」
「は?」
「いや、こっちの話。」
かすがはためらいがちに俺様を睨み付けると踵を返した。理由はわからないがとにかく不快なのだろう。
とりあえずここでの戦闘は回避できた。ほっと胸をなでおろす。
かすがにちょっと待っててと声をかけると、急いで雑巾とバケツを片して、寝巻着に近い格好から休日着に着替えた。
「こんなところで服を脱ぐな!」
「いいじゃん、別に。今更でしょ」
「親しき仲にもというだろうが!」
「俺たち、親しかったの?」
「………」
着替えを終え、お待たせと彼女のもとにかけよると、かすがは俺様ではなく空をみていた。
「どったの?」
「つばめはまだ戻ってこないのか?」
「え?ああ、えさでも探しに行ってるんじゃないかな」
「…そうか」
愛おしそうに目を細めるかすが。
「…そーいうとこだよね」
「…さっきからなんだ」
「いやいや何でもないって、んじゃま、いきましょーか」
「……いや、今日はやめとこう」
「はぁ?なんで!?デートは?!」
「でいと?」
「いやいや、こっちの話」
「よく考えたら休日にまで貴様の顔を見る義理はないと思ってな。だいたい貴様、それは闘う気がない格好だろう」
かすがは俺様を嫌そうに一瞥すると、背中を向けた。
「ああ、あとこれ、もし必要なら使ってくれ」
突然そう言って、何かを放り投げる。慌ててそれを受け取った。
「何よ?これ」
「フン」
かすがは気恥ずかしそうに悪態をつくと、姿を消した。あとに残されたるは俺様と謎の袋。
恐る恐る袋を開けてみれば、中には兵糧丸が少しだけ入っていた。
兵糧丸とは、所謂忍者飯である。
これをまさかツバメにあげろというのか。
正直、勿体無い。この戦国乱世にうつけものといわれても仕方がない。
だが、どうしようもなく顔が緩んだ。
「…ホント、そういうところだよね」

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