4人目

「やっほー」
黒い煙とともに不快な声が耳に入ったと思ったら、継いで
「やっほー」
「やっほー」
と声がまるでこだまのように二重三重に聞こえる。 眉根をよせ辺りを見回せば、同じ顔をした男が3人。目の前に次々と現れて、全員一様に手をひらひらさせて、元気ぃ?と3重奏の声色で言った。
「何の真似だ」
「分身の術の練習中」
佐助の一人が軽快に答えた。
「練習も何もお前の十八番ではないか」
「やれやれ、わかってないねぇ」
3人は一斉に肩を竦める。
「お前、分身のままどれだけ過ごせる?」
挑戦的に問われたので少々苛立ちが募る。佐助を思い切りにらみつけた。
「…もって3日だ」
それを聞くなり男たちは顔を見合わせて、やっぱりねと口々に漏らす。
「鍛練がたりないんじゃないの?」
「しかもかすがは分身二人までだし」
「やっぱ日頃、謙信様謙信様言ってるのが原因かもね」
3人はまるで井戸端会議でもするように口々に言い合った。
「…余計なお世話だ」
「日頃から分身する癖をつけとかなきゃダメってわけよ」
「うるさい!」
「それに比べて、俺様の分身の術は完璧だろ?」
佐助たちはこれみよがしに両手を広げて見せた。 どいつもこいつも自慢げな、自身ありげな表情を浮かべている。
「…不快だ」
「あらあら?そんなこと言っていいわけ?」
中央に立っていた佐助が私の方へ一歩歩み寄る。 思わずじゃり、と一歩後ずさった。
「いつもは俺様一人なわけだけど。」
「今日は3人力なわけで?」
「油断してるとさーぁ?」
3人の佐助が最後まで言い終わらないうちに、突然中央の佐助以外の姿が掻き消える。 あっと反応しようにも既に遅く、どこからともなく現れた分身の一人に、後ろから捕まれ羽交い絞めにされた。
「―――ッ!何を…!」
佐助の一人が私を後ろから捉え、もう一人は地面から半身を突出して私の脚を掴む。
「あーあ俺様も後ろからが良かったんだけど」
私の足首を掴んでいる奴が退屈そうに言った。
「役得役得」
後ろから両腕をさらにキツく回され、肩を動かしてもびくともしない。 嫌な汗が頬を伝った。
「や、やめろ、離せ!何を考えている!」
中央の佐助――恐らく本体だろう――は私の声を無視して、 不敵な笑みを浮かべながらさらに私の眼前へ迫る。
「胸の重さでも測ってみようか」
楽しそうに笑って、手をいやらしげに動かした。
「ふ、ふざけるなっ!」
「じょーだん、お楽しみはとっておかないとね」
佐助は右手で私の顎を無理矢理掴むと、顔をゆっくりと近付ける。 いやいやと首を左右に振ろうとも、顎をしっかりと捕まれそれも叶わない。 必死の抵抗も虚しく佐助の顔はどんどんアップになった。 耐えきれず、目を瞑ってしまおうかと考えた矢先。
「佐助!何をしておる?!」
真田の旦那が道場から顔を覗かせていた。 佐助の顔が急速に離れていく。
「うわ、恥ずかしいとこ見られちゃったね」
中央の佐助は小声で呟くと、旦那に向って鍛練中と声を上げた。 押さえ付けられていた体の力がすっと抜け、自由になる。 精が出るな、という旦那の声を尻目に羽交い絞めにされた肩をほぐすようにゆっくりとまわした。
「…全く悪趣味だな」
吐き捨てるように言えば、佐助は目を丸くする。
「いーじゃんどーせ俺だし」
「余計気持ち悪いだろ」
「だってやっぱかすがを前にするとつい、ね」
お前もやってみればわかるよと自嘲気味に言って肩を竦める。
気持ちはわからなくもないと小さく頷いてから、俺様はかすがの変化を解くと、元の自分に戻った。 もう戻っちゃうわけ?と地面から突き出ている俺様の一人が残念そうに言う。 この体は肩が凝るんだよね、と苦笑すれば同感と声が上がる。
鍛練の練習にはなるがたまに虚しい気分になるのもまた事実なわけで。 イメージトレーニングも兼ねているのだが、かすがの変化だけ異様に上手くなった気がする。 これなら軍神様だって騙せるんじゃないかと思うけど別に試してみようとは思わない。
正直、軍神の顔をアップで拝みたくはないし。
「じゃー次回はこれやってみよーか」
その場にいた全員が静かにうなずいた。

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