宿り木

絶対に失敗をしてはならない状況が、人生には誰にでも一度や二度はあると思う。 今日はまさしく、私にとってその日であった。 上杉軍始まって以来の大きな戦法。 それは実に歴史に名を残すほど大きな、画期的な戦術であった。 戦さを間近に控え、私はそれの成功だけに奔走してきた。 それが報われる瞬間が今日この日になるはず…だった。
「…疲れた」
開口一番。 岩肌に腰を下ろし右手を小川にさらす。 血が流れていくのをぼんやり見つめながらつぶやいた。 すっかりお気に入りの場所となったとある河川の中流は、いつのまにか落ち込んだときの避難場所と化していた。 そして“疲れた”というこの言葉が、私の話しかけるなというサインだということにこの男は気がついているだろうか? 空気を読ますに、どこからともなくあらわれた男は、困ったようななんとも言えない表情を浮かべながら微笑んだ。 視線に耐えきれず、目線を川へ落とす。
「元気?」
へらへらとデリカシーのない声色。 これが元気な有り様に見えるのだろうか?
「一緒に行水でもする?」
「…馬鹿をいえ」
「じょーだん。飯は?腹減ってないの?」
「いらん、戦の後は腹は減らない」
「そう」
そこで言葉を切ると、佐助は私の隣に腰を下ろした。
「今日はいい天気だね」
「誰が隣に腰を下ろしていいと?」
「団子でも食いにいかない?」
「……」
一体何をしにきたのか。男はたわいもない話を一言二言披露する。 始終怪訝な顔をしているのが伝わっているのかいないのか。 奴の装束へのこだわりの話が始まったところで、煮えきらず言った。
「おい。何の用だ?」
「へ?」
「わざわざこんなところまで来て、くだらない話をしにきたのか?」
「……」
「さっさと用件をいったらどうだ」
「……」
佐助は気まずそうに視線を落とす。
「別に、特に用はないんだけどさ」
「じゃあ帰れ」
「…落ち込んでるかと思って。」
やはりすでにこの男にも伝わっていたか。 半ば自嘲的に溜息をつく。 私の人生最大の汚点は、すでに列島中に知れ渡っているのだろう。
「わざわざ笑いにきたのか?」
「いやぁ、まぁ…忠告ってやつ?」
「余計なお世話だ」
「頑張りすぎじゃないの?ってねぇ」
「ふん、貴様に何がわかる?私がどれだけあの任務に心血を注いでいたことか!」
「それはまぁ俺の耳にも入ってるよ。」
「だったらなおのことだ」
「でもさ、いいじゃん。戦は勝ったんだし」
「…そういう問題ではない」
「北条のじいさんも新しい戦法に腰を抜かしたみたいだし」
「……」
「まぁ運悪く伝説の忍びにはきかなかったってだけでさ」
「うるさい!今更なんだ!お前がそれを言ったところで何も変わらない!」
「そりゃそーだけどさ」
「お前に何ができる!」
「宿り木になることぐらいはできるさ」
「何をふざけたことをッ」
思わず立ち上がって叫んだ。 奴は相変わらずへらへらと締まりのない顔をしている。 佐助はやれやれと土ぼこりを払いながら私にあわせて立ち上がった。
「わかってないなぁ」
「うるさい!」
「こういうときはさぁ」
「よ、よるな!」
「黙って頭をかすもんだぜ?」
半ば強引に、頭を引き寄せられ、初めは抵抗をしようと試みた。 しかし既に何もかもがどうでもよくなっていた私は、されるがまま佐助の肩に静かに頭を沈めた。
「あら素直」
「…ちょっと頭が重たいだけだ、私に触れたら容赦しない」
“へーへ”と適当な返事が返ってきたあとは、私も奴も無言だった。
しばらくしてその静寂を破ったのは、私だった。
「…あのお方に…合わせる顔がない…」
「…だからってお前は、いつまでもここにいるのか?」
「…絶対に失望させてはいけなかったのに…」
「失敗をしない人間はいないっしょ」
「だが、忍びには絶対はある」
「…まぁ否定はしないけど」
「だけどお前の主は一つのミスで首を切るような人間か?」
「そんなことをされるお方ではない!謙信様は慈悲深いお人だ」
「わかってるじゃん」
「だからこそ…だからこそ嫌なのだ、いっそのこと死んでしまえばよかった…」
「それでお前の主は喜ぶわけ?」
「…わからない」
佐助はそこで大きく溜め息をはく。
「お前は一体どーしたいのよ」
「…わからない…ただ愚痴を誰かに言いたかっただけかもしれない」
「かすがったら俺様以外に、弱音はける人いないもんね」
「……」
特に肯定も否定もしなかったが、こんな弱音あのお方の前で吐くことは絶対にできない。 だがこいつに弱音をみせることも屈辱的以外の何物でもなかった。
「これは弱音じゃない」
「そお?そういうことにしといてあげるよ」
「帰る」
「そう」
頭を浮かせ、かけた体重を男の体から離した瞬間に、突然尻を撫でられた。
「おい」
「宿り木だって、ただで鳥を休ませるわけじゃないんだぜ?」
「……」

約束通り、容赦しないこととする。

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