運動会

年に一度の運動会は、さすがにこの歳になるとただ単に億劫でしかなかった。
秋晴れの晴天の中、砂埃舞う校庭には下級生が楽しそうに走り回っている。
次の競技は“借り物競争”でその準備をしているのだ。
校内アナウンスでさっきから「借り物競争に出る生徒は入場門へ集まってください」とうぐいす嬢のような声が流れている。 校庭のトラックを取り囲むようにぐるりと椅子が並べられ、中央の本部から左回りに赤組・青組・黄組と3つに分かれて生徒が座っている。
私は青組で、本部のテントの真向かいに座っている。紫外線を避けるようにして頭にタオルをのせ、さっさとお昼にならないかと祈るように椅子の上に体育座りをして頬杖をついた。
「よぉ、暇そうじゃねーか、Lady」
後ろから突然話しかけられて、すぐさま振り向けば、 まるで王様か何かのように横柄に椅子に寄り掛かって、目の前の椅子に足を投げ出す伊達政宗の姿。 体操着なのが実に滑稽である。
「お前こそ暇そうだな、実に」
呆れた風に嫌味を言うが、奴は動じない。 そういえば青組の連中はみなどこへ行ったのだろうか。
青組で席に座っていたのは私とこいつくらいだった。
「他の人間はどこへ行ったんだ?」
「Ah~大方次の競技の応援だろ?次は借り物競争だからな。借り物は近くに多い方がいい。アンタはいかなくて良いのか?」
「なぜ私が応援に行かねばならない?」
「彼氏がはりきってご出席だろ」
「誰が彼氏だ、誰が。だいたいあいつは赤組じゃないか」
「良いじゃねぇか、敵同士のlove。慶次の野郎が喜びそうだ」
「…あいつは他人事だからな」
「ほら、始まるぜ?」
伊達の声が促す方を見れば、本部テントの右わき、入場門には既に出走する生徒がクラウチングスタートの恰好をとって今にも走り出しそうだ。 競技用のピストルを構えた謙信様(ピストルもまたお似合いになる)が、“ようい”と声を張り上げると、皆一斉に姿勢を高くする。 銃声の音とほぼ同時に全員が走り出した。
「猿飛は次の走者だな」
「私には関係ない」
「まぁお楽しみと行こうぜ」
ふんと前へ向きなおして、伊達に背中を向ける。 先ほどスタートした走者たちは皆それぞれ手に紙切れを持ち、きょろきょろと何かを探している風だった。 よくよく見ればその中には真田幸村や毛利元就の姿もあり、彼らもまたきょろきょろと辺りを見回していた。
あるものは生徒から眼鏡を借り、あるものは子供の手を引っ張り、またあるものは一体紙に何と書かれていたのか、ナンパでもするように一般人の女性に声をかけていた。
中には“誰か熱い心をもっていませんか”、と半泣きで声を張り上げるやつもいて、見ているものの笑いを誘う。 真田幸村は一体紙になんて書いてあったのだろうか。懸命に本部テントに座っている武田信玄の手を引っ張りゴールへ導こうとしている。 そんな中、毛利元就が無表情でこちらへ走ってきた。
「貴様、その眼帯をかせ」
開口一番私の後ろの男にそういうと、トラックと生徒の席を仕切る紐を乗り越え伊達政宗の前に立つ。
「早く寄越せ」
「shit、抜かせ。これは俺の命だぜ?貸せるわけねーだろ」
「貴様こそふざけるな、この競技には日輪の命運がかかっている。我はなんとしても1位でゴールする」
「HA!他をあたれば良いだろ。俺だけじゃないぜ、眼帯はよぉ」
「長曽我部は体育委員だから駄目だ。やはり貴様しかいない」
「その紙に“眼帯”って書いたの元親じゃねーだろーな…」
「とにかく、眼帯を渡す気がないなら貴様が来い、今すぐにだ」
そう言い終えぬうちに、毛利は投げ出された伊達の足を無理やりに引っ張ろうとする。
「wait!待て、待てって!わかった、understand!行くぜ、行きゃあ良いんだろ」
「早くしろ、人の場合はおんぶか手をつないでゴールするのがルールだ」
「誰が野郎の背中におぶられるかよ」
「では手だな、早くしろ」
「My god…」
「我とて貴様などと手を繋ぐのは不快だがこれも日輪のため」
毛利はそう言って、伊達の手を引き走っていってしまった。
そんなこんなで何とか第一走者が全員ゴールして、次は佐助の番らしい。
入場門の方を見れば、軽く屈伸運動をする佐助が目に入った。 この距離にもかかわらず一瞬、目があったような気がして、あわてて目をそらす。 恐る恐るもう一度見やれば、既に走者は全員位置についていた。
「いちについて、ようい!」
謙信様の合図とともに全員が一斉に走り出す。佐助は一番初めに紙の元までたどり着いた。
さすが足だけは速い。 すぐさま紙を開いて、それからしばらく紙を見つめて固まっていた。
一体どんな難題がかかれているのか。 ややハラハラしながら佐助の一挙一同を見ていると、佐助はキョロキョロと辺りを見回してこちらを見据えると視線を止めた。 そしてこちらを向いたまま駆け出してくるので、思わず椅子から落ちそうになった。 私もキョロキョロと辺りを見回す。私の周りには誰もいない。 まっすぐ迷うことなく私のところまで来た佐助は、息を少し切らしながら言った。
「かすが、体操着貸して!」
「はぁ?」
「早く!脱いで脱いで!」
佐助が真顔で煽るから、変な汗をかく。
「ば、馬鹿を言うなそんなもの貸せるわけが――」
「うそうそジョーダン」
俺様のチームが負けちゃうからとにかく早く、と言ってしゃがみ込んだ。
「紙にはなんて――」
「いいから早く乗って乗って!」
「だから、紙にはなん」
「あとでジュースおごるからさ!」
どうやらなんとしても私が必要らしい。金髪とかそういう類のお題だろうか。 しかし佐助の意図を理解するなり先程の毛利の声が浮かぶ。 "人の場合はおんぶか手をつないでゴールするのがルール"
「やっぱり断る」
「ちょっとマジ頼むよ、俺様一番にゴールしなきゃ真田の旦那に殺されちゃう!」
「私には何の関係もないな」
「頼むって、ジュースの他にお昼の弁当わけてやるからさ」
弁当ときいて、急にお腹が減ってきたのを実感する。 こういうイベント時に佐助がどこからか調達する昼飯は、必ず真っ赤な重箱と決まっており、しかもこの上なく旨いのがデフォルトである。
わずかに心を動かされた私は、本当だろうなと念を押して尋ねた。
「もちよ、昼飯一緒に食おうぜ」
「謙信様もいらっしゃるのか?」
「大将が来るからな、まぁそうなるだろーね」
謙信様もいらっしゃるなら私としては何の文句もない。
「仕方ない…では手を貸せ」
「違う違う、おんぶだって」
「おんぶか手をつないでゴールがルールだろ?」
「女の子の場合はおんぶだけなの」
「…今お前が決めたんじゃないだろうな」
「まっさかー!体育員に聞いてくれる?」
苦笑する男を尻目に本部テントを見やるが、体育委員の長曽我部はにやにやと笑っているだけだった。
「くそっ、仕方ない」
小さく舌打ちをして、佐助におぶさった。
「さっさとおろせ」
「はいはい、任せといて」
私をおぶったまま、佐助は颯爽とトラックを駆ける。 高い跳躍に体が上下に揺れ、さっきまでのじめっとした暑さを吹き飛ばすように風が気持ちいい。 一直線にゴールの白テープへ突っ込むと、わっと歓声が上がった。
どうやら1位でゴールできたようだ。 すぐさま佐助の背中から降りる。そしてこっそりと聞いた。
「…重かったか?」
「いや、普通じゃん?」
「そうか」
「いや~かすがのおかげで助かったよ、ありがとね」
「ああ、昼飯のためだからな」
良く分からない言い訳をしてしまった私に、佐助は悪戯っぽく肩を竦めて見せる。
そして手にしていた紙を私に差し出した。
「なんだ」
「俺様の借り物競争」
「ああ、お題か」
「初見から決めてました」
頭を深々と下げるので一体何かと手渡された紙を見る。
4つに折りたたまれた紙を静かに開くと、 そこには『結婚したい人』と書いてあった。
「…断る」
「いやいやいや、これは俺様がしたい人であって返事は求めてない、っていうか結構傷付くなこれ」
1位の旗を持ってきた体育委員が、私たちの会話を傍で聞いて小さく笑った。

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