凧談義

忍びが普段、移動手段として使っている凧は、実はどこでも飛ばせるわけではない。 森の中であんなでっかい代物を飛ばすのは難儀だし、そもそも枝に引っ掛かって凧が破れてしまう。 だからと言って町の中や人がいるとこじゃあ隠密行動なんて出来やしない。 だから俺たちは普段から、忍び同士で凧揚げにふさわしい場所――所謂“凧場”ね――を探し、各地にそういう場所を増やしていくのだ。

その日の俺様は、武田から一番近い凧場で凧の整備をしていた。 空の上は思うより遥かに風が強く吹きつけ、毎度毎度しっかり補強し直さなければならない。 自身が思い通りの方向へ凧を動かせるようになるには大そうな歳月がかかるし、熟練した忍者とて落下して死ぬことだってある。
さらに晴れの日は太陽の日差しがキツいし、雨の日は防水加工をしているとはいえ危険だ。 正直こんな厳しい乗り物には乗りたくもないが、年がら年中鳥を酷使するのは事実上不可能だ。
そこで俺様は考える。 天才的なアイディアが次から次へと振って湧いてくるのはご愛嬌――。 丁度、瀬戸内の長曽我部の旦那がカラクリを研究しているのを思い出し、出先ついでにカラクリの設計図やら動力やらを失敬して来たってわけ。
この技術を凧に活かせれば、俺様は伝説の忍びになれるかもしんない。 そんなことをほくそ笑みながら手を動かしていると、背後から気配がした。
「…隠れてないで、出てくれば?」
手を動かしたままそう言えば、その気配はさらに背後に迫ってくる。
「…何をしている」
不機嫌そうな声色で真後ろに立つ女を振り返ると、彼女は立ったまま腕を組みこちらを見下ろしていた。 大きな胸が露骨に中央に寄せられている。 いい眺めである。
「やっほー」
「質問に答えろ」
相変わらず余裕のない女だ。 そう苦笑して手元の凧を引っ張り出すように彼女に見せる。 彼女はけげんそうな顔でそれを見ると、なんだそれはと眉根をよせた。
「凧」
「見ればわかる。その変な機械はなんだ」
そう言って傍らに置いてあったカラクリの動力と呼ばれるものを指差した。 …相変わらず目ざとい女だ。
「いやぁ、これは企業秘密なんだけどさ、かすがには特別に教えちゃう」
「いいからさっさと話せ」
「凧を自動で動かせるカラクリを作ろうと思って」
「カラクリ?」
「そう。凧なんて、あんな体丸出しで不便な乗り物ないと思わない?」
「…まぁな、だが鳥では飛べる高さも限界があるぞ」
「だから自動凧の出番ってわけ」
得意げに肩を竦めて見せれば、彼女はなおも顔をしかめる。
「操縦席――もしくは手元で操縦するもんがあって、もう少し分厚い箱型にする。さらにその中に入って中から凧を動かすわけ。右に左に上に下に。そしたら風も日差しも雨も避けれて完璧だと思わない?」
「…そんなものが作れるのか?」
「さあねぇ」
「心もとないな」
「いやー正直設計図見てもちんぷんかんぷん」
参ったねぇというふうに破顔する。設計図を拝借したまでは良かったが、そこにずらずらと書かれた数式は意味不明だった。 長曽我部のとこから設計士を一人くらいさらってくれば良かったかも。
「…私も乗ってみたい」
「へ?」
意外なお言葉を不振に思い顔をあげれば、かすがと視線がぶつかった。 かすがはしまった、というように慌てて顔を反らす。
「違う。前にお前から貰ったような乗り物ならごめんだが、長曽我部のからくりはすごいからな」
「あー、はいはい完成したらね」
そう言いながら、まぁ恐らく完成はしないだろうねと内実微笑した。 かすがはそれを聞くと小さく溜息を吐いてから、期待を含んだ目でからくりの動力を覗き込む。 そして、俺様の傍に置いてあった設計図を手にとった。
「で、いつ頃乗れそうなんだ?」
「え?」
「自動凧だ」
「あぁ…実はさ、それよりもっと乗りたいものがあるんだよね」
そう投げかければ、彼女は不思議そうに図面から顔をあげる。
「自動凧よりも便利なものを思いついたのか?」
「んー、まぁ便利っていうか快適…つうか快感?」
にっこり顔を貼り付けたままきっぱりと言い切ると、あぐらを深く組みなおした。 かすがは眉根を寄せ、訝しげにこちらを見つめている。 長い付き合いを経て、嫌な予感しか感じないのだろう。じりじりと後ず去る彼女に真剣なまなざしを向けると、自分の股の間を指差した。
「かすがに乗りたいんですけど」
「…………」
嫌悪を丸出しにして、くるりと後ろを向いた女に、“あ、乗ってもらっても構わないよ”と付加えてみたが、それも虚しく風に消えた。

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