卒業

卒業式当日。
いよいよその日がやって来て、佐助はいつもよりずっと早くに家を出た。
いつもと違う行動をすれば、いつもと違った事が起こりそうな予感がしたからだ。
しかし肌を刺す朝の通学路は、これまで3年間通い続けたいつもの通学路と何一つ変わらない。
佐助は真っ白な息をひとつ吐いて首元のマフラーに手をやった。
(変わったのはこれだけ、か)
ふと思い返せば美しい少女、かすがが脳裏をかすめる。
クリスマスのプレゼントに、手作りのマフラーを貰ったとはいえ二人の関係は特に何も変わっていない。
佐助にとってそれは有り難くもあり、残念でもあった。
(あの時のかすがの顔は絶対俺様に惚れたと思ったんだけどなぁ)
ひとりごちて苦笑すると、後ろからいきなりポンと頭を叩かれる。
驚いて振り返ればそこにはかすがが立っていた。
「何朝っぱらからにやついているんだ」
想像の彼女が突然現実になって目の前にいて、佐助はひどく狼狽えた。
しかも現実の彼女は、想像の彼女の何十倍と美しいのだから
たまったものではない。
「ど、どうしたんだよ、早いジャン」
ぎくしゃくと慌てて取り繕うがうまくごまかせただろうか。
佐助は嬉しさ半分、はずかしさ半分、といった様子で笑う。
「お前こそ早すぎるぞ、私は今日誰よりも早く学校に入るって決めていたんだ」
「うわ、俺様と同じ考えをするとはね…」
「…この調子じゃ他にもいそうだな、仕方ない。お前と一緒に登校してやろう」
かすがはやれやれと肩をすくめてみせると、佐助の隣で軽やかに歩く。
「あーあ、俺様の素敵な朝の時間をー」
「こんな美女と一緒に登校できるんだから、有り難いと思え」
それから二人はいつもと少しだけ違う、二人だけの通学路を歩いてゆく。
最初は文化祭やテストの話、たわいもない話から始まって、自然と慶次や伊達の話になり、いつのまにかこの間の話になる。
「そう言えば、そのマフラーどうだ?」
かすがは形の良い眉を潜めると佐助の首元をさりげなく盗み見る。
「ああ、全然大丈夫。一緒に巻いてみる?」
「絶対にごめんだ」
大きな瞳をさらに見開いて、かすがは呆れたように溜め息をつく。
それを見て佐助はやっぱり?と苦笑した。
「…………」
会話が自然と途切れ、二人は沈黙した。
気まずい空気を紛らわそうとかすがが口火を切る。
「それより佐助は大学どこに行くんだ?」
突然話が大きく飛んで、佐助は面食らった。
「どこって、まぁ…T大だけど」
「お前もT大なのか?」
「も…ってかすがも?」
「そうだ。お前がT大受けたら合格枠が一つ埋まってしまうじゃないか」
自身もとんでもなく優秀なくせに、かすがは嘆くようにいたずらっぽく笑う。
「いやー、まだわかんないよ、俺様には伊達の呪いがかかってるかもしんないし」
それを聞いてかすがは噴出した。
なんだそれはと面白そうに視線を投げかける。
「それはまー言えないけど、俺様の成績の良さを妬んでるんだよ」
「そんな事でお前が大学に落ちる訳ないだろう」
「あら、わかってるじゃないの姫君」
わざとらしくそう言って、佐助は目配せをしてみせる。
「そんなことを言い出したら、私だって落っこちることになるぞ」
「まっさかぁ、かすがが落ちたら誰もうかんないじゃん?」
「それもそうだな」
はいはいと呆れてみせる佐助を尻目に、かすがはふっと笑う。
気がつけば、あっという間に学校の目の前まで来ていて、二人は校門前の「卒業式会場」と書かれた立て看板に目をやった。

朝の校舎は辺りに人気は無く、しんと静まり返った下駄箱が新鮮だ。
この独特のカビ臭い匂いを嗅ぐのは今日で最後なんだな、と改めて佐助は噛み締める。
二人ともこのなんとも言えない感じを共有していたくて黙ったまま、かすががポコンと上履きをすのこの上に落とすと、突然佐助が口を開いた。

「もし俺がT大受かったらさ」
…受かったらって、まず間違いなく受かるだろう、
かすがは胸中でそっとツッコミをいれたが、彼があんまり真剣な表情をしていたので言葉を飲み込んだ。
佐助も同じようにすのこの上に上履きを落とす。
「俺と付き合ってよ」
かすがの体の中を風が通り抜けたような気がした。

Since 20080422 koibiyori