先生と生徒

忍び足で、保健室の――それもとりわけ目立たない――後ろの扉を開けると、音をたてないようにベッドへもぐりこんだ。
ひんやりと冷えた布団の中へ体を滑りこませると、小さく身を丸める。
ふぅ、と小さくため息を一つ吐けば“シャッ”とカーテンレールが翻った。
「おい」
わずかに怒りを帯びたお声に、体に力が入る。
いや、でもまだ隣のベッドかもしれない。
一類の望みを託して、気配を消すように目をしっかりととじれば途端に視界に光を感じた。
「…また来たのか」
布団を持ち上げながら、半ばあきれ顔でそう口にする保険医をこっそりのぞき見る。
目と目があったので、苦笑したまま上半身を勢いよく起こした。
「はーい」
「…今、何時間目だと思っている」
「…1時間目」
「堂々とサボるんじゃない!」
眉根を寄せ、布団を全て引っぺがされた。
「さ、サボりじゃないよ、ちょっと頭が痛くてさ」
「昨日は腹だったな」
「俺様体が弱くってさぁ?」
「…明日は何だ」
「む、胸かな?」
美人の先生に向かってウィンクすれば、彼女は大きくため息を吐く。
「…どうせ恋の病とでも言うのだろう」
「ありゃバレてた」
「お前の言うことは大概お見通しだ」
心の中で舌を出してから肩をすくめて見せる。
ベッドへごろりと寝転がれば、さっさと授業へ行けと声が降って来た。
「俺様、先生の顔を見てないと苦しくって」
「…そうか」
「恋っていうかもう愛って感じ?」
「…良かったな」
ちらりと彼女の方を仰ぎ見れば、彼女は黙々と書類に目を通している。
「ちょっとぉ!聞いてんの?」
「聞いていない」
「もう!カウンセリングだと思ってさ、ちょっとこっちに来てよ!」
ベッドの脇にある、小さな丸椅子を指差してそう言った。
まるで重症人のように苦しそうに頭を抱えてみせる。
彼女はやれやれと言った感じで腰を上げると、こちらに近づいた。
「今日はマジで頭が痛いんだから…」
「そうなのか?」
やや戸惑ったような声色でこちらを覗き込む。
ひんやりとした掌が、俺様のおでこを包み込んだ。
「…そういえば顔が赤いな」
そんなに近づかれちゃ赤くもなりますって。
ベッドの端へわずかに身を動かして、左側を開けた。
先生もどう?と続けると“遠慮しておく”とたじろいだ声が上がる。
「そんな冷たいこと言わないで」
「私は仕事でここへ来ているんだ」
「生徒を介抱するのも仕事でしょーに」
「マセタガキの相手はしないことにしている」
「………」
会話が途切れて、先生は椅子から立ち上がった。
包帯やらばんそうこうやらが閉まってある白いタンスに近づくと、そこから体温計を取り出して戻ってくる。
「…俺様もう大人だよ」
「まだ義務教育途中だ」
「義務教育途中だってあーんなこともできるし、こーんなことだってできるよ」
「良いから体温を測れ」
「俺様大人だって」
「…わかったから」
困り顔のまま、先生は俺様に近づくと体温計を差し出した。
差し出された体温計を取らずに、先生の手を取る。
「おい、いい加減に―――」
言い終わらないうちに思い切り手を引っ張って、ベッドへ引き込んだ。
先生は俺様の胸に倒れこむようにバランスをくずす。
「俺様、大人だよ」
そう静かに言って、彼女を抱きしめた。体温をしっかり感じながら目を閉じると、彼女が苦しそうに呟いた。

「…私もなんだか頭が痛い」

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