昔々、あるところに猿がおりました。 “猿”は里でいうところの上位忍者の総称で、事実上里での権力や地位などが約束されていた立場の者たちでした。 人間ではなく、“猿”と称したのは、彼らは冷酷で、人間のような感情は持ち合わせておらず、獣のようにすばしこく獲物を狩る姿から、誰かが皮肉を込めて言ったのが始まりだったと聞いています。 その時私は年のころ14ばかり。 歳上にあたる猿たちを羨望と憐みが混在した複雑な気持ちで見ておりました。
そんなある日の事でした。 一日の鍛錬が終わり、へとへとになって森から里へ戻る最中。 鬱蒼と生い茂る木々の中から突然声が聞こえてきました。
「なぁ、お前」
思わず辺りを見回しますが声の主は見当たりません。 そのままきょろきょろとあたりを見回していると再度声が聞こえてきました。
「いくつだ?」
また声が聞こえたと思った途端、今度は近場の木々に黒い羽根が立ち、人の姿が浮かび上がります。 見れば、猿で一番実力があると言われていた佐助という男でした。 「いくつだ?」
「…14」
問いかけにそっけなく答えると猿は不敵な笑みを浮かべます。
「べっぴんだな。名前は?」
「…かすが」
「“かすが”か。なかなかいい名前じゃん」
俺は佐助、と自己紹介すると猿は話し始めました。
「かすがはいつも一人だよな」
「…余計なお世話だ、…です」
「いいよ、敬語なんかいらない。」
敬語は耳障りだと吐き捨てるように言ってから猿は、気を取り直したように自身の橙色の髪を撫でつけます。
「その髪、地毛か?」
私が問うと、猿は初めて柔らかい表情を見せました。
「ああ。お前もだろ?」
「…そうだ」
「お互い苦労するな」
その言葉には、珍しい毛色に苦労してきた者への同情と親近感が同時に込められていたように感じられました。 はにかんだ表情を見たときに、猿も人間なのだと改めて思ったのをよく覚えています。 そうしてこの会話をきっかけに、私と猿はよく話をする間柄になりました。
もっとも他の猿や人間たちの前では全くそのようなそぶりを見せることはなく、 私が1人になった時を見計らった間だけでしたが。 そのくせ、猿が私に話しかけてくるときは大抵人を殺めた後だと思われました。 返り血を浴びた姿や、死臭を漂わせた暗い瞳のまま、何かを吐き出すように私に話かけました。
実際に弱音を吐いたことは一度もなかったのですが、今になってみれば 同じく幼少の彼にとっても何か重たい枷を強く感じていたのかもしれません。 それを出すことは猿の中ではもちろん、忍びとしてきつく禁じられていたので私は良い発散相手だったのでしょう。
そのような日常が2月あまり過ぎた頃。 事件は唐突にやってきました。 初めに騒ぎになったのは、噂話でした。
「なぁ、知ってるか?猿同士で殺し合いが始まるらしいぜ」
同期の忍びが話しているのを小耳にはさみました。
「ホントかよ、だって、あれは集団で組んでいるんじゃないのか?」
「いやいや、んなわけないだろ。集団たって仕事のうえだ。仲良しこよしじゃないんだから」
「ふーん。で?なんで殺し合いになるんだよ」
「忍びの最終試験だってよ。あの中から一人決まるんだ」
「次の奉公先の主が会いに来るらしいぜ」
「ウソだろ?そんなもん成績の良い順に出せばいいじゃないか」
「なんでも実践も含んでるんだとか。奉公先の主はもちろん、猿たちにも内緒らしい。うまく殺し合いになるよう里長が仕組んでるとかなんとか」
「えげつねぇな」
「殺すまでいかなくとも半殺しぐらいはさせて裏切りに対する耐久性みたいなもんをつけさせるらしいぜ」
とても最後まで聞いていられるような内容ではありませんでした。 既にその殺し合いは始まっているかもしれません。 いてもたってもいられず、私は走り出しました。
いつも猿と会話する森の中。 いつもの場所。 いつもの木々。 今まで出したこともないようなスピードで森の中を駆け抜けます。 もっと早く走れないことが悔しい有様でした。
「猿…、佐助!」
名前を読んでみますが、当然のごとく返事はありません。 それもそのはず、普段猿たちがどこで修業をしているかなんて並みの忍びには知らされないのです。
考えても仕方ないので――どちらかといえば深く考えることすらできないで――とにかく闇雲に歩き回りました。 一刻ぐらい過ぎたのでしょうか。 もはや道すらわからなくなってきた頃。 すすり泣くような、呻くようなそんな声が聞こえた気がしました。 そして強い血の匂い。 私は思わず戦慄しました。 このまま逃げたしたいくらいの焦燥感。 声のする方へ歩みを進める度、強くなっていく暗い予感。 段々声の主の姿が見えてきて、私の予感は的中していたと思い知ることになるのです。
「佐助…!」
思わず声をかけましたが、反応はありません。 佐助はたくさんの屍の上に膝をついていました。 もちろん、体は血まみれで手には下ろしたばかりだといつか笑っていっていた大型手裏剣がありました。 目は虚ろで何も見えていない表情です。 半殺しどころか即死だったのかもしれません。
誰一人として動かない その場所は、佐助の声だけが反芻しているだけでとても静かでした。 木々の緑の中に真っ赤な色がよく映え、私は目を細めました。
幾分か時が経ち、佐助はようやくこちらの世界に戻ってきたようでした。 私の姿を認めると、肩をすくめ苦い笑いを浮かべます。
「嫌なとこ見られちゃったねェ。俺様はもう、人間じゃないのかもしれない」
「……佐助」
「じゃあね」
真っ赤な手のひらをこちらに向けると、瞬時佐助の姿は消えました。 それから私は里を出るまで、二度と佐助の姿を見ることはありませんでした。
風のうわさで奉公に出たと聞きましたが、それは誰にもわかりません。 人間の心を失った、悲しい猿の瞳を今でも思い出します。
もともと人間だったはずの猿はまた人間に戻れるのでしょうか。 やがて、その真っ暗な瞳にもまた少しずつ光が戻り、 いつの日か心を取り戻すことができるかもしれません。
何年かして、湖のほとりで再開するのはまた別のお話。

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