終わりと始まり

新居から徒歩5分。小さなテラスのある、こじんまりとしたカフェ。
別段目立った所など何一つないのに、何となく気になって荷解きのためのはさみを買う途中だった事も忘れてふらりと中に入った。

扉を開けば、カランカランと心地いい鐘の音が店内に響く。
コーヒーの香ばしい香りとともに店員に促され、外からちらりと見えたあのテラスに案内される。古めかしい店内はそれでいて妙に懐かしさがあり、初めて来た筈なのになぜか落ち着く。
人通りは少ないものの、忙しなく行き交う人々を眺めながら何となく優越感を抱いた。
「生まれ変わったら何になりたい?」
お隣のテーブルでカップルが楽しそうに談笑している。
俺はまた人間になってお前に会いたいなどと彼氏が照れくさそうに笑う。
思わず舌打ちをしそうになったが彼らに罪はない。
私はこの席に座った事をやや後悔しながら鞄の中から読みかけの小説を取り出し、目を落とした。
「きっと俺たち前世は恋人だったかもよ」
歯が浮くようなセリフが突然頭上から降って来て思わず顔をあげると、私のテーブルの前に見知らぬ男が立っていた。
髪をオレンジ色に染め、T-シャツにパーカー、ジーンズというシンプルな格好。
恐らく20代、同い年ぐらいだろう、顔が引きつるんじゃないかというくらいに笑顔だった。
私は眉を潜めて男を見る。
「ね、どっかで会った事ない?」
「…知らんな」
新手のナンパだろうか。
私が露骨に嫌悪感を表すと、男は苦笑する。
「なんかこう、見た事あるって言うかさ、懐かしいっていうか」
「悪いがナンパなら他所でやってくれ」
「ナンパじゃないって、ホラ」
そう言って私の後ろを指差す。
振り返ると先程の店員さんがにこやかに立っていた。
「申し訳ありませんが、相席お願い出来ますでしょうか」
「あ、ああ」
気まずい返事をしてついでにコーヒーを一つ頼んだ。
目の前の男も俺様もそれ一つと続けて言う。
「ここ良く来るの?」
「…今日が初めてだ」
「偶ー然!俺様も今日初めてここに来たんだよね」
「………………」
私は黙って小説に目を落とす。
これ以上無駄話に花を咲かせる気はなかった。
しかし口から生まれたのかこの男は一人で話し続ける。
「いやー、初めて来た土地だったけどこのカフェに入って正解だったよ。こんな美人にお目にかかれるなんてね」
「………………」
「そもそも一人でゆっくりコーヒーでも飲もうと思ったんだけどさぁ、なんか気づいたら話しかけてたんだよね。なんかこう、初めての感じしなくね?運命ってやつかな?」
「………………」
「ね、名前は?この辺に住んでるの?」
「………………」
「年いくつ?その髪地毛?やっぱ俺様に会ったことない?」
「う、うるさい!!」
思わずそう怒鳴って、力任せにテーブルを叩いて立ち上がった。
周りの客が珍しい物でも見るようにざわざわとこちらを伺っている。
ウェイトレスが丁度コーヒーを持って来て、気まずそうにテーブルへ置いた。
コーヒーの香りとともに羞恥心がむくむくとこみ上げて来て、すぐさま椅子に座り直す。
「やっぱその感じ。どっかで見たことあるんだよねー」
男は私の怒声をものともせず、首をかしげた。
「で、お名前は?」
「…なぜ見ず知らずのお前なんかに私の名前を明かさねばならない」
「まーまー、俺様は猿飛佐助。佐助って呼んでよ」
男がそう名乗った瞬間、何か言いようのない感情がせり上がってくる。
「さるとび…さすけ…?」
思わず繰り返すと、佐助は目を見開いた。
「やっぱ会った事ない?」
何か、喉の奥まで出かかっているのによくわからない。
こめかみに手をあて、目を閉じて記憶の中を探ってみるが特に何も浮かんで来ない。
「いや、お前なんて知らん、最近読んだ時代小説にその名が出て来ただけだ」
「あー、良く言われる。俺の親父が大好きだったらしいんだよね、真田十勇士、特に猿飛佐助」
「…猿飛なんて珍しい名前だな」
「まぁね、だから家の家系は佐助の末裔だとか調子乗っちゃってさ」
「…案外生まれ変わりだったり――」
そこまで言いかけて口をつぐんだ。
生まれ変わり?猿飛佐助の?
言いようのない違和感がふつふつと込み上がる。
佐助もそれを肌で感じたのか、真剣な表情でこちらを見つめている。
「やっぱり、アンタも感じてた?」
鋭い視線で射抜かれる。どきりと心臓が跳ね上がった。
本当は初めから感じていた違和感。
あり得ない事だが、初対面のこいつと話すのは初めてじゃない。
懐かしくて、だけど嫌な感じの――
「ね、名前何て言うの」
「…かすが」
佐助は私の名を耳にするなり、椅子から勢い良く立ち上がった。
その瞳には驚きと恐怖心が入り交じったような複雑な色が浮かぶ。
「ど、どうした?」
「い、いや、なんか脊髄反射?」
笑顔を作るが今度はやや引きつっていた。
こいつも言いようのない何かを感じたのだろうか。
「かすが、かすが、かすが、かすが…」
佐助は音もなく座り直すと、どこを見るでもなく呟く。
自分の名前を繰り返し呟かれるのは何だか気恥ずかしいものだ。
「う~ん、何だっけなぁ、気になるんだけど思い出せない…」
頭を抱える佐助をよそに、私は溜め息一つ腕時計にちらりと目をやる。
どうやらタイムリミットのようだ。
「…もう良いだろ、きっと似た人に出会ったんだ。深く詮索するのはよせ」
「そうかなぁ」
「そうだ。もう二度と会うこともないと思うが貴重な体験だった。じゃあな」
そう言って立ち上がると、伝票を片手に踵を返す。
「ねぇ」
第一歩を踏み出した所で声をかけられた。
まだ何かあるのか。
恐る恐る振り返れば佐助は満面の笑みでカバーがかけられた文庫本を手にしている。
「今読んでるんだ?真田十勇士」
ページをぱらぱらと捲り、そう呟く。
はっとして鞄の中をまさぐれば、私の小説がない。
「い、いつの間に…!」
「あらら、ついうっかり」
「お前―――」
「ね、運命って信じる?かすが」

佐助の大きく見開かれた瞳が、鋭く光った気がした。

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