男と女が二人きり

梅雨。 空はどんよりと嫌な雰囲気で、こちらまで憂鬱になってくる。 深い森の中、幸いにも雨を凌げる洞穴を見つけ早々に非難した。 洞窟のようなくぼみはかなり広く、奥まで広がっているようだが、 あまり奥へ入るのは得策とは言えない。 入口手前のゴツゴツした岩肌に腰を下ろし、降り注ぐ雨粒を眺めた。
「最悪だ…」
今起こっている悲惨な状況に見て見ぬふりをして、膝に顔を埋めた。
「いーじゃん」
心中で存在を完全に消したと思っていたが男はいけしゃあしゃあと私にその存在を知らしめる。
「駄目だ」
顏を膝に埋めたままぴしゃりと言った。 さっきから男は隣で同じ台詞ばかりを繰り返す。
「いーじゃん!」
「駄目だといっている!」
頭を上げ、力んで声を出した際にくじいた足がきしりと痛む。 寒い。 そもそも梅雨の土壌の悪さを計算に入れなかった私が悪いのだが、泥に足をとられ不覚をとった。
たまたま一緒にいた男は忍が転ぶなよと、もっともらしい台詞で皮肉を言う。 休めばすぐ良くなるとたかをくくっていたが、思ったより強く捻ったのか、少し休んでも痛みはひかなかった。 転んだ際に体は泥に塗れ(雨のおかげで少しはましになったが)とても見れたものではない。 いよいよ本格的な土砂降りに変わり、散々“先に行け”“武田に帰れ”と促したが男は帰らなかった。 結局足の痛みのせいで野宿する羽目になったことはまだ良いとしても、なぜこいつまで一緒に野宿するのか。
「なぜ帰らない?」
体育座りのまま尋ねた。佐助は隣でぼんやりと雨を眺めている。
「俺様も手負いの人間を捨てて行くほど非情ではないつもりだけど?」
「別に手負いではない。ただ足をちょっと捻っただけだ」
「痛む?」
「いや、今は大丈夫だ」
「そう」
「ああ」
「……」
ざあざあと雨の音が二人の会話を断ち切らせる。 佐助はすかさず言った。
「いーでしょ?」
「駄目だ」
こいつ、私が思わず良いと肯定するとでも思っているのか。
「もう、頑固なんだから」
「何が頑固だ、頑固とは違う」
「良いじゃん、体を冷やすのはよくないし。生身の体が二つあるんだから」
「…何が言いたい」
「ねぇ?」
やることは一つだよね、と禍々しい笑顔を浮かべる。 何がやることは一つだ。足の痛みとともに怒りまで湧いてくる。
「それとも…意識しちゃってんの?」
「誰がだ」
「許嫁って言ったこと」
「…意識などしてない」
「またまたー、目くらい合わせてよ」
さっきから一度も目を合わせていないことを故意だと思っているようだ。 まぁ、実際その通りなのだが。
「…なぜあんなことを口走った」
「俺様の理想を言ったまでさ」
「冗談も休み休みいえ。本気にされてはかなわん」
「かすがはどーなの」
「何がだ」
「俺様と許嫁は嫌?」
「……近寄るな」
気が付けば奴との距離がどんどん近くなっていた。 ぞくりと背中が粟立つ。 危険信号を感じ、座ったまま奴から離れようにも私が座っている位置は入口の手前側のため逃げ場は雨が降りしきる外しかない。 走って逃げようにも足を捻っているし、こいつから逃げ切るのは至難の業だ。
「嫌だって言わないってことは望みありって思って良い訳?」
「何を馬鹿な」
「体は正直でしょ」
「なっ!」
突然腰に手を回され飛び上がる。
「ほら、震えてるじゃん。寒いんだろ?」
「突拍子もない真似はやめろ」
「だからさっきからこっちにおいでって言ってんじゃん」
「だから嫌だと言っている」
あっちへいけと手で追い払うが、男は動じない。 呆れたようにやれやれと肩を竦めると胡坐をかいて、こちらをじっと見つめている。 そして突如、着ていた忍び装束を脱ぎだした。
「お、おい!馬鹿!何を考えている!」
「大丈夫、大丈夫。上だけだから」
「ふざけるな!そういう問題じゃ――」
そこまで言い終わらないうちに、男は脱ぎたてほやほやの服を 私に投げ寄越した。
「なんだ」
「着な」
「なっ、」
「いいから。俺様とくっつくのは嫌なんだろ?なら着ろって」
「…お前は?」
「こういう時、男は寒くないわけよ」
「何を馬鹿なことを」
「いいから着ろって」
気障ったらしく笑う男を横目にしぶしぶそれを着た。不本意だがこうなってしまった以上、この男は譲らないだろう。 人肌に暖められた衣服からはほのかに佐助の匂いがした。 体を小さく丸めて寒さに耐える。
「暖かい?」
「…まぁまぁだ」
「そこは暖かいって言ってよね」
そう言った男は寒そうだった。
「お前は寒そうだな」
「寒くないって」
「見た目が寒々しい」
「そんなこと言ったってしょうがないっしょ」
露出した両腕を寒そうにさすると梅雨の割には冷えるね、と笑う。 人に甘い甘いと揶揄する割に、こいつも人のことは言えないんじゃないか。
「…お前なんか嫌いだ」
「へ?」
間抜けな声を出す男をよそに立ち上がると、胡坐をかいている男へずかずかと歩み寄る。 困惑している表情を見下ろしながら、膝の上に乗った。
「ちょ、」
「寒いんだろ」
無理やりに胡坐を解かせ、両足の間に尻を滑り込ませるとそのまま寄り掛かる。
「暖かいだろ」
「…………」
「何か文句があるか?」
「ないけど…」
「けど、なんだ」
「…服も脱いだら良いんじゃないかな」
「お前は雨にでも打たれたらいいんじゃないか」
苦笑する男の体は温かい。
「…かすがってずるいよね」
「お前に言われたくはない」
くすりと声が漏れて、肩に重さが加わった。 佐助の橙色の髪が頬に触れる。 今回だけ特別だ、と心の中で自分に言い聞かせた。
「雨、やむかな」
「さあな」
出来れば早いとこ止んで欲しい。 ちらりと外を眺めれば、尻のあたりに違和感。
「おい」
「いや、だってさ、ほら、体は正直じゃん?」
お前薄着だし、と助平な表情で笑う。
「………」
最悪な事に夜はまだまだ長い。

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