『もうしばらくお待ち下さい』 ※グロ描写注意 死ネタ

「上杉が、上杉謙信が落ちたぞー!!」
蒸し暑い初夏のある日。伝令が武田の領地に入るなり叫んだ。
それを耳にしたものはほとんどいなかったが、叫ぶ声とほぼ同時に、佐助は外に飛び出していた。

とにかく無我夢中で、気がつくと戦場にいた。どこをどうやって来たのかすら、覚えていない。
ひどい死臭で我に返り、辺りを見回す。佐助の周りには、たくさんの屍が無造作に転がっていた。
あまりの匂いに吐き気を覚え、激しくむせた。
この暑さで死体の腐乱が早いようだ。
(かすが)
鼓動が早まるのを必死で抑え、佐助は最愛のものを探す。
(かすが、かすが)
口が渇いて呂律がうまく回らない。
その声はひどく震えていたが、聞き取れなくはなかった。恐らく忍びぐらいにしか聞き取れない、小さな声で名を呼んだ。
(かすが)
辺りを呼びまわったが、それらしき者の姿はない。それどころか生きている者すら見つからなかった。
死体を確認しようとも、泥だらけで顔が判別出来ない。
というのも、戦場は先程まで雨が降っていたらしく、地面がぬかるんでいた。
死体も泥につかり、ひどく汚れたものが多かった。仕方がないので佐助は、死体を1つ1つ確認していくことにした。
体格からしてあきらかに違うものは避けて、小柄な死体から順に見ていく。
1つめ
(違う)
2つめ
(違う)
3つめ
(違う)
乱暴に頭をつかんで、顔を確認する。
乱暴だったのは初めからかすががこの中にいるなんて思っていなかったからだ。
佐助はどちらかといえば、この中にかすががいないことを確認していた。

ほとんどは泥にまみれ、顔がふやけ、判別が困難だったが、佐助にはそれがかすがではないことだけは分かった。そんなふうにして、佐助自身も泥まみれになり、それが血なのか、泥なのかさえ区別がつかなくなったぐらいにそれはいた。
「かすが?」
かすがと呼ばれたものは、木の幹に寄りかかるようにして横たわっていた。
全身に泥のような、血のような赤黒い液体がこびりついて、美しかった金色の髪は、どす黒く変色し体にまとわりつき、白い肌は血と泥のコントラストで青白く、さらに目は見開いて、醜く歪んでいた。
すぐに駆け寄って体に触る。体はすでに冷たかった。
佐助は、焦点の合わない瞳を見つめて、絞り出すようにつぶやいた。
「そんなはずない」
心臓が早鐘を打つ。口の中が急速に乾いていくような焦燥感。
 そんなはずはない、これはかすがではない。
 似ているだけさ、他人のそら似ってやつだ
 でも、俺様がかすがを間違えるはずはない、
 だとしたらこれは――――――――
 だけど
佐助の思考が走馬灯のように駆け巡った。
「かすが」
震える手でかすがの頬を撫でる。
佐助の声はかすがの暗く沈んだ瞳に吸い込まれた。

佐助はこの現実を受け入れなかった。受け入れられなかった。
自分の中で何かが、音を立てて崩れさっていくのがわかった。
「かすが」
絞り出すように呻いた。
かすがは応えない。
同じ表情で固まったまま、どこかを見つめている。
横たわるかすがの腕を引っ張った。一緒に連れて帰るつもりなのか、反応をみるつもりなのか。だらりと垂れ下がった腕の手首をつかむ。
鈍い音がして、それは簡単にとれた。

それを見たとたん、急に吐き気が戻って来て佐助はその場で嘔吐した。
吐瀉物の匂いと死臭が混ざり、余計に胃液があがってくる。
佐助はなんとかそれを堪え、かすがを抱き起こした。
「かすが?」
しばらくそれを見つめていたが、次第にそれが、かすがではないという確信にかわりつつあった。
(かすがはこんなにもろくなんかない。もっと綺麗で良い匂いだった。そうだ、これはかすがじゃない)
そう思うと急にそれを抱き起こしていることに嫌悪感を抱いた。触れている部分から、うじが沸き、腐っていく。
思わず支えていた手をはねのけた。
「かすがじゃない」
やっとの事で声を漏らすと、その屍を踏みつけた。
何度も、何度も。
(かすがじゃない、かすがじゃない)
顔から、体から、容赦なく踏みつける。
(かすがじゃない、かすがじゃない)
辺りには、泥を踏みつける音と、骨がくだける音が響いた。
しばらくして気が済んだのか
佐助は別の方向へおぼつかない足取りで向かう。
後に残された「かすがだったもの」は人であったのかさえわからなくなるくらいに変形し、そのまま泥沼に沈んだ。

佐助は、自身についた液体をぬぐう。
全身が汚れてしまっていたが、そんなことはもう関係なかった。
(かすが、かすが)
虚ろな瞳でつぶやくと、そのままかすがを探す。
もはや佐助には現実など、見えていなかった。

(佐助、佐助、かすが殿は…)
(見つからなかったよ、でも大丈夫、あいつのことだからしばらくすればひょっこり顔を出すさ)
そう、だいじょうぶだ。なにも心配はいらない。
あれはかすがではなかったんだから。

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