きみ攻略マニュアル

上の空度80%。
さっきから話しかけてもまともな返事は何一つない。
考え事をしている瞳はほぼ100%、愛しの上司の事でも考えているのだろう。
この女の行動パターンはほぼ全て把握してしまった俺様にとって、
こうなってしまったら最後、こちらへ関心を向けることは至難の業である。
「ねー、今度駅前に新しくパン屋がオープンするらしいよ」
「そうか」
「そこの明太フランスが超うまいとかなんとかって」
「ほう」
「今度一緒に食べに行かない?」
「ああ、そうだな」
「………」
本気じゃないくせによく言う口だこと。
「今度一緒にホテル行かない?」
「…いかない」
ぼんやりと携帯電話を眺めながら相槌を打つ女に、小さくため息をつく。外は青々と澄み切った気持ちがいい天気だというのに。
こういう時、気を引くためにどうしたらいいのかは俺様が長年培った脳内攻略マニュアルが知っている。
まずは彼女の意識を携帯から離し、俺様もしくは外の関心に向ける事だ。
重要なのは話の中身であり、いかにひきつける話題を提供できるかが勝負の分かれ目である。

例えばここで、“慶次に女ができたらしいよ”とぽつりと言うとしよう。
こういう話題に女は敏感なはずだ。
どこの誰だとか、いつだ、とか5W1Hの返事が返ってくるに違いない。

そうすればとっかかりはOK。
“この間外できれいな女の人と歩いてたのを旦那が見たって”
“どこの誰だ!?”
“さあ、旦那は知らない人だって”
“いつ?”
“一週間前って言ったかな~”
“どこを歩いてたんだ?”
“駅前のパン屋らしいよ”
“年上か?”
“さぁねぇ”
…だがここで会話が終了してしまう可能性がある。
こちらが不明瞭な回答をした時点で、彼女の意識が携帯に戻ってしまうかもしれない。
そこでだ。
“早速そのパン屋で張り込んでみない?”
これである。
恐らく最初はなんでだという不快たっぷりの表情をするに違いない。
しかしここであきらめてはいけない。
“そこの前がデートコースになってるらしい。頻繁に見かけるっていう話を聞いた”
この一言で、火がつくだろう。ただ素直には認めない可能性がある。
その場合の返答はおそらく、“見に行ってどうするんだ”だ。
ここまでくればもうひと押し。
“女の顔、見てみたくない?”
そして
“ついでにいい天気だしさ、そこのパン屋明太子フランスがうまいらしーのよ。腹も減ったし行こうよ”
このセリフで畳み掛ける。現在時刻は正午すぎ。彼女の小腹も空いてきた頃合いだ。
とにかく、仕方なくでも外に出て、明太フランスを食べれば作戦は大成功というわけ。
早速俺様は、このストーリーの駒を進めるべくかすがをこっそり見やった。
彼女は相変わらず携帯の画面を眺めている。
今にうまい明太フランスをかすがの口にぶち込んでやる。ほくそ笑む顔を正しもせず、かすがに話しかけた。
「慶次に女ができたらしいよ」
「…そうか」
俺はこの難攻不落の城の攻略をあきらめた。

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