君がため

“あな愛し 初雪散らす軍神か…”
先が割れた筆を硯の上に投げ出すと、紙をぐしゃぐしゃにしてその辺に放り投げる。 違う、こんなんじゃ あのお方の美しさを言い表すことはできない。
忍びとして生まれついた時点で、養とは無縁だと考えていたが――幸運にも私の主は歌をよむ機会を与えてくださった。
今朝も早速、有名な歌人の和歌集をいただいたのだ。
だが、過去の偉人のものには程遠く。歌であのお方への感謝を表そうと思っていたのに…歯がゆい思いで唇をかんだ。
「あな愛し…」
さっきから呪文のように繰り返し呟くもののその先は出てこなかった。
「あな愛し…」
『金髪おっぱいボインボイン』
「きんぱつおっぱ………な、なんだそれは!!」
途中までいいかけて吹き出した。
後ろを振り返れば案の定見たくない顔。
「な、勝手に入ってくるな!!」
「偵察偵察」
「馬鹿か!ばれないようにやれ!」
忍びの癖にたるんでいるとしかいいようがない。
「まぁいいじゃん、歌のお勉強なんて俺様感心しちゃうなぁ 」
「勉強というほどではない、道楽だ」
「それにしちゃー熱心だったね」
「うるさい!さっさと要件をいえ!」
「はいはいっと!」
佐助は苦笑して懐から巻物を取り出すと大袈裟に広げてみせた。
「時は戦国!心は太平!名和歌を大募集ー!」
あっけをとられる私をよそに、男はうつけのようにひらひらと紙をよこす。 あとは自分で読めということだろう。
紙面に目を落とせばそこには達筆な筆で先程読み上げられた文字が踊る。 要約すると、なまぐさぼうずの本願寺が全国各地から和歌を募集するとのことだった。
素晴らしい名句にはなんと…
「ひゃ、百両?!」
「そーそ。百両。驚きの値段だろ?俺様もたまげたのなんのって。」
「武田は大騒ぎか。」
「そーなのよ。国をあげて挑むなんていっちゃってるよ。」
「お前は?」
「俺様は参加しない…といいたいところだけどね、百両だぜ?こっそり応募するよ。そっちは?」
「この話は初耳―――」
いいかけて今朝、突然謙信様が和歌集を渡してきたことを思い出した。
もしかして謙信様はすでにご存知なのではないか。 どこかに提出するものとあらかじめ私に言えばプレッシャーでいい句ができないことを予想して… 「さすがは謙信様だ」
「んーと?なんの話?」
「こっちの話だ。お前のせいで折角のいい歌がどこかにいってしまった」
「いーじゃん、ぼいんぼいんで。」
「何を馬鹿なことを。ふざけるな。百両がかかっているのだぞ!」
「なんだ、やっぱ乗り気なんじゃん」
「やるからには無論、全力をつくす」
佐助は眼を丸くすると、なんだかよくわからないような笑みを浮かべる。
「…そーいうとこ、嫌いじゃないよ」
「お前に好かれてもしょーがない」
「辛辣~」
そう言って肩を竦めると、先ほどの巻物をくるくると器用に丸めまた懐に戻した。
「じゃあ最後に、俺様の歌も聞いてくれる?」
「なんだ?それだけのために来たのか?」
「ん?まぁ厳密には違うけど」
「伝令で充分だ」
「まあいいからいいから、これ読んで」
またも懐から文を取り出すと私に渡す。
「果たし状ではないだろうな?」
「残念ながら婚姻届でもないよ」
男の言い分を無視してその手紙を開いた。
そこには佐助の文字で下記のように書いてあった。

“君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな”

まさかこの歌が出てくるとは思わなくて 私がしばらく黙っていると、男はしびれを切らしたのか私の顔を覗き込む。
「どーよ?いいだろ?」
「…お前が書いたのか?」
「ヘへ、ならいーんだけどね。有名なやつだよ。百人一首。確か藤原義孝?その和歌集にも載ってるねぇ、きっと。」
「…だと思った、お前にしちゃうますぎる」
知らないふりをするのに苦労した。
佐助が読んだその歌は、私が特に好きなものだったから。
和歌集のその歌の頁には、押し花のしおりが挟んである。
偶然か必然か――――
実にいい選択に思わず顔が緩む。
例え百両もらえなくても、是非お前の歌が聞いてみたい。
「なぁ」
「んー?」
「一句できたら私に送ってくれるか?」
「は?」
「今度はお前の頭の中から浮かんだやつがいい」
そのときはこの押し花と一緒に添えてやろう。



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君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな 藤原義孝
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口語訳:あなたを知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが、
それさえあなたのためには永く保ちたいと思ったのです。

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