かっぜっぴき

かすががめずらしく風邪をひいた。
自身の体調管理には結構気を付けている方だと思っていたが、最近の激務でどうやら体力が落ちていたらしい。 秋晴れのさわやかな朝に、定時刻を過ぎてもなかなか起きてこないので、不思議に思って部屋を覗けば、かすがはまだ眠っていた。
「あれ、かすが?今日仕事…だよ、ね?」
呼びかけるもうんうんと唸ってなかなか起きない。 仕方がないので現在時刻を大きめの声で言った。
「かすが!もう7時30分だけど大丈夫なの?!」
俺様の声に反応して、かすがはびくりと痙攣すると飛び起きた。 開口一番もっと早く起こせと怒鳴られるかと思いきや、かすがは頭をかかえて声にならない声を上げた。いつもと明らかに様子が違う。
「どうしたの、大丈夫?」
「うう、頭が痛い」
こめかみを押さえながら下をむいて呻いた。
「昨日何時に寝たの?」
「体調が芳しくなかったから昨日は10時頃寝た」
「酒は?」
「体調が悪いんだから飲むわけないだろう」
だよね、と苦笑すればかすがは小さくため息を吐く。
怒る元気すらないのか頭を押さえながら起こしていた体を横たえた。
「今日は休む?」
「…できれば休みたくはない。最悪半休をもらって病院へいってくる」
消え入りそうな声で体温計を持って来いというので、俺様はいそいそとリビングへ戻る。救急箱の中にある体温計を引っ掴むと足早にかすがの部屋に入った。
「ほら」
「ん」
手渡したかすがの手のひらは熱い。やはり熱があるのだろうか。
こんな状態のかすがを一人で放っておくわけにはいかない。むくむくと保護者心が顔を出し、俺様も今日は休もうかと考えた。 確か今日は旦那も大将も外周りだから在宅で仕事をしても特に問題はないはずだった。
そんなことをぼんやりと考えている間に、かすがの体温計がピピッとなった。 二人の興味は体温計に注がれる。
「何度?」
「38度5分」
最悪という声色をもろに含めてかすがは呻いた。誰がどう見たって熱がある。風邪だろう。
「病院送りコースだね」
「…電話するから出て行け」
皮肉めいた言葉も特に反応されず、ぴしゃりと締め出されてへいへいと廊下に出る。この隙に俺様も会社に電話しよう。 携帯を取り出して職場にかけた。
「佐助」
職場に在宅でやることを伝えて丁度電話を切った矢先、かすがが背後から俺様の名を呼ぶ。
「お前も休むのか?」
「いやぁ今日はなんか暇すぎて俺様いらないらしいよ」
「…うつっても知らないからな」
「俺様の鍛え方をかすがと一緒にしないように」
ふんと鼻を鳴らしてから、かすがはヨタヨタとリビングに向って歩いて行く。 リビングの扉を一足先に開いてやれば吸い込まれるように一直線にソファへダイブする。なんだからそれが可愛らしくて、くすりと笑った。
「何か食べる?」
「ああ、フルーツがいい」
「フルーツってもバナナしかないよ?あとヨーグルト」
「まぜろ、砂糖は1杯で良い」
まぁ食欲がまだあるのは大丈夫な証拠か。了解と言葉を返して冷蔵庫の中のバナナとヨーグルトと砂糖2杯半(いつもの感覚でいけばたぶん1杯は足らない)を一緒にすると真っ白い深皿へ流し込んだ。 ほら、と声をかければかすがはソファからむくりと体を起こす。
キッチンからリビングへかすがに皿を手渡すと、ソファのかすがを観察するように目の前にしゃがみこむ。
「悪い」
「お互い様、俺様が風邪引いたら看病してね」
「………。」
かすがは無言で一口一口スプーンでヨーグルトを口の中に入れていく。 だがその表情は曇ったまま。 風邪のせいなのかは定かではないが、思い詰めた表情のままぽつりと呟いた。
「…やはり今日は会社に行くことにする」
「はぁ?」
思わず漏らした声に、かすがは眉根を寄せる。
「今日は絶対に休めないんだ」
「な、何言ってんの、そんなフラフラの体で」
「大事な会議があるんだ」
「そんなのあとで議事録見せてもらいなよ」
「駄目だ、直のやり取りを見ないと…!」
「…テレビ電話でいいじゃん」
「このお姿を謙信様に見られるわけにはいかない!」
「じゃあテレビ機能なしにすればいいじゃん」
「それでは謙信様に失礼だろう!」
「……………。」
かすがのひたむきさ(真面目さ?)に若干辟易しながらも今日仕事にいかせるわけには行かない事だけは明白だった。
「とにかく、出るのはお前の勝手だけど良く考えなよ。熱出してウィルス撒き散らす人間が職場にいたら迷惑でしょ」
「……」
「しかもお前の大事な謙信様にうつったらどーすんのさ」
「だが」
「そんな手っ取り早く治る方法はないんだから大人しく寝てなって」
「方法は、」
「ないない、ネギでも首にまいてみる?」
俺様の茶化した声に呼応するように、かすがは大きなくしゃみをして鼻をすすった。
「…俺様にうつさないでよ」
「それだ!」
「へ?」
「お前にうつせばいい」
悟ったと言わんばかりにかすがはそう言って盛大に、あからさまに咳をする。
一体誰のために人知を尽くしていると思っているのか。
「ちょっと、かすが、やめ」
「うるさい」
思わず立ち上がろうとするも、かすがは俺様の肩をしっかり押さえ立ち上がることができない。
「それデマだって!」
「問答無用!」
げほげほと俺様に向かっての咳攻撃は続く。 このままでは本当に俺様まで風邪をひきかねない。 だが、かすがはやめる気配はない。 ではどうするのか。俺様の脳はフル回転する。
毒を食らわば皿まで―――――。
「なっ!」
かすがが俺様の肩を掴んでいるのを利用して、がら空きのボディを自身へ引き寄せる。かすがをソファから引きずりおろすと、驚いているのも構わずに、そのまま無理矢理口付けた。
「んーーー!」
嫌がるかすがの体を押さえつけ、唇を舌で強引にこじ開ける。
終いにはかすがが背中をばしばし叩いてくるので、仕方なく唇を離す。
「な、何をする…!」
かすがはこれでもかと言うくらいこれ見よがしに唇を拭う。
「うつしたかったんだろ?このほうが手っ取り早いじゃん」
確かに手っ取り早いと論理的には感じたのか、かすがは押し黙る。 しかしどうやら感情面で納得はしていないようだ。
「…全快したらおぼえていろ」
思い切り睨まれて、俺様はお手上げのポーズ。
「そんときはたぶん俺様が風邪引いてるよ」
「それは笑えるな」
「そしたらまた、俺様からかすがにうつしても良い?」
“口で”とは言えずに苦笑した。

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