絡み酒

仕事帰りに立ち寄ったバーは、完全に本日のストレスの解消、つまりはやけ酒であった。 強めの酒をバーテンに頼み、カウンターに突っ伏してそれが来るなり一気に飲み干す。 そして本日の嫌なことを思い出しては小さく舌打ちをする。
はたからみれば最悪の絵面である。 私なら絶対にかかわりあいになりたくない。
自己嫌悪も手伝って、私はいらついていた。 うまくいかないことというものは不運にも続くものである。
ふと、視線を感じて私はそちらへ顔を向けた。 みればカウンターのひとつ右隣。 よれよれのワイシャツを着こなす男がひとり。 目は座っていたので男もかなり酔っているようだった。
「……」
普通、目があったらそらすのが常識だと思っていたのだが男は違った。 据わった瞳で何を言いたいのかじっと見つめてくる。 私も負けじとにらみかえす。
初対面だがわかる。
こいつとは、生理的にあわない―――。
しばらく何も言わずにらめっこをしていたが、とうとう堪えきれなくなった私から声を上げた。
「なんか文句でもあるのか!」
口にして驚いた。かなり呂律が回っていない。 喋りながらかっと体温が上昇するのがわかった。 男は突然浴びせられた罵声に驚いたようだ。 目を丸くして、俺のこと?というように自身を指差してみせる。
「そうだ、おまえだ!」
「さっきからこちらをジロジロ見やがっていやらしい!」
「なにか文句があるなら言ったらどうだ!」
思っていたことを一気にまくしたてた。 酔っているのは恥ずかしながら明白だろう。
「いやー文句なんかありませんよ」
男は苦笑する。
「どーせ女のひとり酒を馬鹿にしているのだろう!」
「いやいやいや、馬鹿にしてないよ。おねーさんがあんまり美人だから驚いちゃってさぁ」
男の軽口に虫酸が走る。
「貴様、痛い目に会いたくなければその口を閉じろ」
「おーこわ、おねーさん相当よってるねぇ」
酔ってなどいない。 いちいちこたえるのもめんどうなので無視した。
「平日の夜に、しかも明日も仕事だっていうのに。やけ酒?でもなきゃこんなに泥酔しないでしょ。」
男は図々しくもひとつ右隣の席から私の真横に移動してきた。
「うるさい、だったらどうなんだ」
「いやぁ実は俺もそのくちでね。日頃ストレスがたまってるんだわ。上司とか上司とか…上司とか。」
男の疲れた顔をみて少し同情した。 よっぽど使えない、もしくは無茶をいう上司なのだろう。
「私の上司は素晴らしいお方だ」
「あっそ?じゃあ何がストレスなわけ?」
「同僚がな…」
「あー、同僚…」
「実に頭がお花畑で風来坊で、そのくせあのおかたと仲がいいときてる!」
「あー、もしかしてお姉さん、あのお方にお熱ってやつ?」
「ち、ち、違う!!!」
「ふーん。写真とかないの?」
「そ、それなら携帯に…」
じゃ、ちょっと失礼。と言い終わらないうちに、テーブルの上に放り出していた携帯はひったくられていた。
「お、おい!勝手にみるな!」
「みるなっていうか待ち受けじゃん。」
「三人でうつってるけど…どっち?」
「…左だ。」
まるでかぼそい声が出たので自分でも驚いた。
「あー、ぽいね。王子様って感じ。」
「馬鹿にしているのか?」
「いやいや。じゃあ真ん中ののにーちゃんが風来坊ってとこかな?」
「…そうだ」
初対面の人間に、なぜ私の想い人を知られなければならないのか。 無性に恥ずかしさが押し寄せてきたので、私は男から携帯を引ったくった。
「もういいだろ!私は帰る!」
「えー?もう帰っちゃうの?」
「明日も早いんだ、おまえもだろう?」
「ま、ね。でもこんな出会いもなかなかないじゃない?」
「ああ、二度と御免こうむりたいものだな」
「じゃなくてさー、もっとこう、運命的なもんを感じない?」
「…感じないな。」
「そー?俺は感じちゃったけど」
「悪いが貴様とホテルにいくつもりはない。」
男は焼酎を吹き出した。
「ちょ、身も蓋もない」
「とにかく帰る、マスターお勘定!」
「ちょっとちょっと!せめて名前だけでも教えてよ!」
もう二度とあうこともないか。そう思って軽い気持ちで口にした。
「かすがだ。」
「かすが…ちゃん、ね…」
一週間後。 携帯に知らない番号から着信あり。
名前なんか名乗らなきゃ良かったと後悔することになる。

Since 20080422 koibiyori