時間差エイプリルフール

「お前と付き合ってやってもいいぞ」
リビングのテーブルで、パソコンのキーボードを叩きながら彼女ははっきりとした口調でそう言った。
会社の仕事を持ち帰って来たのだろう、眼前にいるにも関わらずさっきから一度も会話を交わさなかったくせに、突然そんな言葉を吐く。
思いもよらない言葉に、コーヒーを持ったまま向かいの席から動けずに、瞳だけを彼女に向けた。
「…エイプリルフールでしょ?」
「ちがう」
俺様とは視線を合わせないまま、かすがはパソコンの画面を見つめている。長いまつげは伏せられていて、彼女の表情からは冗談なのか本気なのか推測がつかない。
「う、うっそだぁ、そんなこと、言うわけないじゃん」
思わず声が上ずって、急に動悸がしてきた。
本気だ、と呟いた彼女の瞳は、いつのまにかこちらを真っ直ぐに捕らえている。
「俺様をだまそうなんてそうは――「嘘なんかじゃない」
遮られた声に、動揺が隠せない。でも今日は4月1日。 こんな日に限ってそんなことが起こるはずはないわけで。 しかし俺様の脳みそは、4月1日に入籍してハネムーンは…とフルスピードで回転していた。
そんな思いを振り切るように頭を振って、コーヒーをやっとのことでテーブルへ置く。
「えっと、何の話だっけ」
「お前と付き合ってやってもいいと言っている」
「……マジで?」
「さっきからそう言っている」
「え、つまりさ、それって、かすがはさ、あれなの?」
「なんだ」
「いや、だからさ、俺様のことがさ、」
「だからそうだと言ってるだろ」
「え、エイプリルフール?」
「しつこいぞ」
「…ちょっとさ、立ってくんない?」
ごくんと唾を飲み込んでから、意を決してそう言った。 かすがは胡散臭そうにこちらを見やる。 いいから、と促すと、彼女はしぶしぶテーブルの横に立った。
「本当に俺様が好きなの?」
自分も同じようにしてかすがの目の前に立つと、真剣な面持ちで問う。
彼女は初めて顔を反らすと、目を伏せたまま“ああ”と短く答えた。
「かすが…」
感激で一杯になって――色々、今までモーションかけてたこととかつらかったこととかそんなことが一斉に湧き上がって――かすがが何かを言いかける前に、体を抱き寄せきつく抱きしめた。
ぐにゃりと、信じられないくらい柔らかい感触が体から伝わる。 と同時に大きな音がして、肩が脱臼するくらいの痛みが伴った。 かすがに何かされたのかと、思わず痛みにつぶった瞼を恐る恐る開けば、 そこはベッドの下、“床の上”だった。
「え」
枕を抱きかかえたまま、パジャマ姿で冷たい床の上。
先ほどの柔らかすぎる感触が、今手元で蘇る。
信じたくない情景に、9割の絶望とほんのちょっぴりの安堵が押し寄せる。
「おい、今すごい音がしたな」
ばたばたと自室のドアを開いて彼女は隙間から顔を出す。こちらを見下ろす女の顔を、ただただ呆然と見つめた。 ベッドから落ちた衝撃と、さっきの情景がまざまざと蘇り涙が出そうだ。
(むしろちょっと出たんだけど)

「ベッドから落ちたのか?寝相が悪いな」
「あたたた」
「いつまでも寝てるからだぞ」
「ねぇ」
「…なんだ」
「俺様のこと好き?」
「はぁ?」
床に寝転び抱き枕を抱えたまま、真剣な顔で問えば、彼女は眉間に深々と皺を寄せる。
かすがは溜息を吐いて、(恐らく寝ぼけているとでも思ったのだろう)起きろと言う様に俺様に手を差し伸べた。 その手をとって体を起こすと、彼女は自嘲するみたいに、短く答えた。
「ああ」
「え?」
今なんて―――? かすがの手を握ったまま、まさか正夢かと彼女の顔を穴が開くほど見つめた。
かすがはその驚きように動揺したのか、俺様が寝ぼけていないと悟ったのか。すぐに俺様の手を離す。
「え、エイプリルフールだ」
なぜかどうしようもなく安堵したのは、自分でももう良くわからなかった。

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