エレベーターパニック

地上約120m。
そびえ立つ高層ビルのエレベータの中で事件は起こった。
その日は上杉商社との合同会議。会議の1時間前には武田を出て、上杉社長の美人秘書であるかすがと共に会議の下準備をするはずだった。
立派な玄関ホールを抜ければ、白のYシャツと黒のタイトスカートのコントラストに身を包んだ正装のかすがが俺様をお出迎えする。 Yシャツからは程よく下着が透けていた。 挨拶もそこそこに、かすがのエスコートでエレベータを待つ。
チンという粋な音ともにエレベーターに乗り込んで、行きたい階のボタンを押し、エレベーターが動き出して、あの気持ちの悪い重力を体に感じる。 そんな何気ない日常のワンシーンとなるはずだった。 最近どうなのとたわいもない世間話を一方的にしていると、何の前触れもなく“がくん”という縦揺れが起こった。 何が起こったのかわからないまま、エレベータは停止した。
「なんだ?!」
かすがが慌てた口調で言った。
「故障…?」
「そんな馬鹿な…」
「そんなこといっても止まっちゃってるわけで…」
先程まで感じていた不快な重力を今は感じない。
「何階だ!」
かすがの声を合図に二人してエレベータの行先表示の画面を見るが、画面は真っ暗だった。
「おい、今何階だかわからないじゃないか」
「たぶん階と階の間にでも止まったんじゃないのかな」
「そんな…」
狼狽えるかすがとは対照的に俺様はなんだか落ち着いてきた。
「まぁ外が見えないだけましだよね、こんな高層ビルで窓でもあったら恐ろしいや」
「…お前は少しは焦ろ」
「俺様が焦ったらかすがまで焦っちゃうでしょ」
今はとにかく落ち着けとネクタイを緩めながらいう。 かすがは幾分冷静さを取り戻したようだ。
「そうだな、まずは非常用のボタンを押そう」
そういってかすがは綺麗に整えられた爪で非常用のボタンを押した。
「………」
何も起こらない。
「1回じゃだめじゃないの?」
互いに目を見合わせ、ボタンを何度も押す。 ボタンは点灯しているが特に応答はないようだった。
「おかしーね」
「……」
かすがは考え込むように腕を組むと、突然天井を見上げた。
「上だ」
「へ?」
「上から出れないか?」
「えー、映画じゃあるまいし、無理じゃない?」
唐突なお申し出に一瞬怯むが、かすがは目をキラキラさせて言う。
「やってみなきゃわからない」
こういう時のかすがの行動力(無鉄砲さ)には度々辟易する思いだ。 現実ってものをわかっているのだろうか。
「…そんなこといったって、天井には手、届かなくない?」
天井には手を伸ばしても、頭三つ分くらい足りない。
「…台になれ」
「はい?」
「台だ、四つん這いになれ」
「よ、四つん這い…?」
まさかこの真っ昼間にSMごっこをやる羽目になるとは思わなかった。
彼女の瞳に問いかけるがどうやら本気のようだ。 今にもやれと言いたげな顔が俺様を見つめている。
「やれやれ」
仕方なくおろしたてのスーツで四つん這いになって、かすがの足元を見つめた。 かすがはおもむろにピンヒールを脱ぐ。
「脱いじゃうの?」
「踏んで欲しいのか」
「いえ、滅相もない」
「では黙っていろ」
「はい」
かすがの足が俺様の背中にさぁ乗ろうという時に、ふと見たふくらはぎのストッキングが伝線していることに気が付いた。
「…伝線してる」
「げ」
足を下ろし、かすがが自分のふくらはぎを覗き込む。 小さく舌打ちをして俺様の上にためらいもなく乗った。 うっと思わず声が漏れる。
「今日はついてないみたいだな」
「そうでもないよ」
「なぜだ」
「この体勢のまま俺様が上を見たらいい眺めだと思うもん」
「……絶対に上を見るなよ」
「どうしよっかな」
「この状況でふざけるな!」
「はいはい」
思いきり踵で背中をぐりぐりとやられたので思わず苦笑した。 かすがなりの牽制のようだ。 再度“がこん”という鈍い音がして風を感じる。 どうやら天井の扉が開いたらしい。
「よく開けれたじゃん」
「私をなめるな」
「わかってますよ、女王様」
四つん這いのままそう言った瞬間、 突如エレベータのドアが開いた。
「げ」
幸いにも扉の前には誰もいなかった。(こんな姿誰かに見られたら終わる)
「…開いたな」
「…開いたね」
かすがは何事もなかったように俺様から降りると、ピンヒールを履き、パンパンと胸の汚れを払う。 ほこりでも落ちてきたのだろうか。 俺様は背中が痛くてすぐには立ち上がれない。
「…大したことなかったな」
「うん。勝負下着でもなさそうだね」
「………」
かすがは無言のままピンヒールで再度俺様の上に乗った。

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