僕と君と馬と尻と紅葉と

「とりあえずまぁ馬に乗ってよ。」

「はぁ?」

明らかに不満げな瞳に思わず身震いする。

「なぜ私が馬なんかに…」
「今日は客人として来てるんでしょーが。」
「だが馬なんて走った方が早いし、後ろががら空きになるんだぞ?!」

「客人に走れとは言えないだろ」

感情は認めたくなさそうだったが、かすがは渋々といった表情で馬の手綱をとった。

 

武田信玄が病に倒れてから、軍神は好敵手にかなりの協力体制をしいた。
かすがもその一人であり、うちへの強力な助っ人として(嫌がりながらも)力を尽くした。

大将はそのお礼として、軍神はもちろん、彼女も武田に招待して、あろうことか俺様に御守を頼んだ…という訳である。

紅葉が見頃だから馬にでも乗って見てこい、との半ば強制的ともとれる命令は、俺たちの気まずい雰囲気を悪化させる要因となっていた。

 

「さぁさ、いくよ!」

かすがが馬にまたがったのを、しっかりと目に焼き付けた後に彼女から手綱をもらい馬を引く。

「お前の馬はないのか?」
「引いていけとのご命令だったもんでね」
「バカな…馬くらい私にも乗れる!」
「乗れるとか乗れないとかいう問題じゃないっしょ」

 

実は馬は二人分用意してあったのだが、馬に乗ったら会話が楽しめないし、色々不都合もあるからあえて置いてきたのだった。
…とは絶対悟られないようにしなければならない。

 

「ちょっとうちの馬出払っちゃってさ」

「騎馬隊があるのにか?」

なかなか抜け目ないやつである。

「ほら、みんな訓練いっちゃってるから。これがギリ確保できた馬なのよ。」

かすがは訝しげな瞳で俺様を見下ろす。
位置関係的には最高かもしれない。 

「引いていくなんて、非効率的かつ時間がかかる方法はお断りだ」

「じゃ、じゃあさ俺様が前に乗るからさ「絶対に嫌だ」

食い気味に断られた。

「じゃあ俺様が後ろに「死にたいのか?!」

もし後ろに乗れたら乳くらい揉んでやろうと思ったのに、ぴしゃりとはねのけられた。
いっそのこと最初から馬がないといって、自分が馬になれば良かったと少し後悔した。

「ほんじゃどーすんの」
「お前が走れ」

…まぁそーなると思いましたけどね。
かすがは勢いよく鞭をいれ、かけ声と共に加速した。
早速遅れをとった俺様は、慌ててかすがのあとを追う。

「方向は西であっているか?」

かすがが振り向き尋ねる。

「そ。あのへん、色変わってるでしょ。あそこ目指して」

 

鮮やかに紅葉が始まっている山の中腹を見やって、目配せをする。
あそこまでは、整備された一本道だ。

はぁっ!というかけ声と共に馬は再加速する。
おいおい、走る人のこと忘れてない?

会話を楽しめるスピードは望めそうにない。こんなんじゃ、あっという間に着いちまう。
肩を軽くすくめつつ、前をゆくかすがを後方から見つめた。


鞍からわずかに腰を浮かし、前傾姿勢になる。
馬が上下にゆれる度、豊満な臀部が軽やかに上下する―――――。

 

(これは――――――!)

 

ある種の戦慄が走った。
今、一分でも一秒でも目をそらしたくない。

 

澄み渡った青空に煌々と降り注ぐ太陽光。
その光に反射する、身体の線が露わな忍び装束――――。

 

まるで、段々自分自身がかすがに吸い込まれそうで、どんどん目の前が真っ暗に………。

 

 

「!!」

 

 

瞬時衝撃が走った。
何をしている、というかすがの声とともに顔面への鈍痛。
軽くよろける。

何が起こったのかわからずにいると、かすがは呆れたように言った。

「鍛錬不足ではないのか?馬と激突するなど…。」

「馬に激突?」

 

どうやら、かすがのせいで速度を落とした馬の尻に顔面を強打したらしい。
どうせならかすがの尻にぶつかりたかった。

 

「着いたぞ」

 

かすがの声に、はっとして辺りを見回せばそこは一面色鮮やかな世界が広がっていた。

「美しいな…」

紅葉に楓に銀杏。
色づいた葉たちは、それだけで目に楽しい。

緑から橙、橙から赤に。
青空とのコントラストが目に染みる。

 

ひとりごちて惚ける女の横顔は、それに劣らず美しかった。

 

「これが武田からのお礼だよ」

「なかなか良い心がけだな」

「いつ嫁に来ても良いんだぜ」

「この景色を謙信様にもご覧いただきたかった…」

 

噛み合ってない会話に、自然と顔が緩む。
束の間の休息だ。
お互いそれから黙ったまま、ただ風景を、鳥の声を、風の声を聞いていた。

 

「早く、よくなるといいな……」

 

沈黙を破る意表を突く台詞に、思わずかすがを見た。

女は間違って心の声が外へ出た、というような顔をする。

何がとは聞かなかったが黙って頷いた。


「俺様の顔ならもう痛みは引いたよ」

「帰るか」

帰りも尻を見つめて帰還した。 


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