バイオハザード

確かに心の臓を一突き。 苦無から手に伝わる感触は、手応えを感じているのに。 目の前の兵士は依然として倒れる気配すらない。
「あ……」
両腕を肩の高さまで挙げ、こちらへ近づいてくる浅黒い肌の兵士に、思わず後ず去る。 “かすが”と自分の名前を呼ばれたと認識した瞬間、真横から兵士を大型の手裏剣が襲う。 ぎゃあと悲痛な叫び声と共に兵士は崩れ落ちた。
「!」
「怯むな!」
短く押さえ込むような声色に、奴も苦戦している事が伺える。 それもそのはず、先ほどから倒した兵士が次から次へと起き上がり再び襲い掛かってくるのだ。
「こいつら…人間か?」
こちらへ向かって来る兵士をさらに切りつけながら呟いた。
「こんな人間いたら忍びは廃業しちまうよ」
心底迷惑そうに吐き捨てると、佐助は唇を噛む。 体を半回転させ、大型手裏剣を弧を描くように動かせば 途端に兵士の首が飛ぶ。
「かすが!首を狙え!」
「首?」
「さすがに首を切られちゃやっこさんも動けないだろ」
佐助が切った屍を横目に小さく頷いた。 首と胴体が分断されては、まだ動いているとはいえ使い物にはならないようだ。 急所を狙う戦術から、首を正確に切り落とす戦法に切り替える。 急所よりも遥かに出る血の量に、思わず顔をしかめた。 まだ動いていた兵士をあらかた倒し終わった時には、私も佐助も返り血で真っ赤だった。
「うわ、派手にやらかしたね」
「…最悪だ」
周りに積み重なる屍に舌打ちして、体にこびりついた血を撫でる。 すっかり固まって、腕から簡単に剥がれ落ちた。
「いってー」
感情が全く篭らない声で佐助が漏らすので、ついそちらへ目をやった。 見れば先ほどの兵士に腕を引っ掛かれたらしい。
「もうあいつらマジで信じらんない」
「痛むのか?」
「いや、フツー槍とか剣とかもつっしょ?素手だなんてホントヤバイよ」
「ああ、普通じゃないな」
「もし俺様もああなったらどうしよ」
「馬鹿なことを言うな」
ぴしゃりとはねのければ、いやでもさバイオハザードとかさと意味のわからないことを喚くので、とりあえず無視を決め込んだ。 佐助は特に気にするそぶりも見せず、辺りに転がっている屍に目を移す。
「それにしてもさ、こいつら…どう思う?」
「…大谷か」
「…やっぱり?」
「秘術を使うと聞いたことがある」
「あぁ、前に松永んとこで見た香みたいなやつね」
「香か。もしくは…死体そのものに何らかのまじないを施しているのかもな」
「やだやだ。悪趣味なこって」
身震いするように自身の身体を抱きかかえると、佐助は大きく溜息を吐く。
「とりあえず――香を探してみようか?さっきから嫌な匂いはするんだけど鼻が効かない」
確かに、ここは色々な匂いが混じり過ぎている。 佐助は自身の夕日色の髪を撫で付けるとやれやれと肩を竦めた。 それを見てふと、やつの雰囲気が前とは少し違う気がして、その違和感がなんなのか心中で考える。
(…髪が伸びた…のか)
初めて会った時よりも随分と伸びた髪が、その違和感の原因とわかった。 それが何だか過ぎた年月を感じさせる。
「…老けたな」
「なによ、やぶからぼうに」
「いや、ふと、な」
「…そりゃあ色々苦労してるからね」
佐助は、やれやれと溜息をこれみよがしに吐いてみせた。 わずかに緩んだ瞳だったが、すぐに殺気を帯びた険しい顔つきに戻る。
「かすが」
「ああ」
お互い同じ方向から人の気配を感じ、目配せをする。 新手か、そういいかける前に佐助が声を上げた。
「誰だ?」
声が発せられた方へ目をやれば、茂みからずるずると胴体と頭を分断した兵士が這い出してきた。 “それ”は、先ほど私たちが倒したはずの兵士だった。
「なっ、こいつ…!」
「おいおい勘弁してよ…」
もはや人間の形状すらとどめていない“それ”に佐助も私もうろたえた。 “それ”はまるで芋虫のようにずるりずるりと不恰好に、しかし確実にこちらへ向かってくる。 胴体と頭を分断したはずなのに、こいつは一体どうやって動いている? 駆け巡る思惑とともに、あまりの不気味さに肌が粟立った。
「こ、こいつらはどうやったら死ぬんだ!?」
「そ、そんなこと俺様が知るわけないっしょ!?」
「さ、佐助!」
「……」
互いの顔を見つめながら、ほぼ同じタイミングで頷いた。 佐助は左に、私は右に。 ない合図をきっかけに、私たちは左右に散ってその場を逃げ出した。
こんな化け物と闘っては身が持たない。それが私たちの出した答えだ。 佐助は私が逃げる直前に、そいつの体に手裏剣を打ち込んでいたようだったが、それも果たして効果があるのかどうかはわからなかった。 とにかく私はそれを横目に全速力で走った。 落ち合う場所など決めてはいなかったが、佐助が行きそうな場所などわかりきっていた。



深い森を抜け、ようやく見晴らしの良い湖にたどり着いて、辺りを窺うが未だ佐助の姿はないようだ。 人がいないのをもう一度確かめてから、湖のほとりへ入り両腕を洗う。 本当は全身の汚れを落としてしまいたかったが、それは無理だとわかっていた。
「これから水浴びでも始めるつもり?」
軽口と共に現れた男を睨みつけると、おーこわと両腕を挙げてみせる。
「生きていたのか」
「まー心外だねぇ」
「さっきの化け物にやられたと思ったぞ」
「まさか、俺様があんな奴にやられるわけないっしょ」
「いっそやられれば良かったのにな」
「ん?」
「いや、とどめはさして来たのか?」
「一応ね、まぁ効いてるかはわかんないけど」
いつも通りのやりとりが終わって、佐助も私も疲労の色が隠せなかった。佐助は水の中の私を見つめながら岩の淵にどすんと腰を下ろすと、大きく溜息を吐く。
「あんなもんが何度も襲ってきたりしたらさすがにゾッとするね」
「ああ…あれはヤバいな」
「俺様まだ鳥肌立ってるよ」
「急いで謙信様に報告せねば」
「こっちもだ。…香はどうする?」
「今はそれを見つけている暇はない」
「そうね」
“私はもう行く”と、湖から出て水を払うと佐助を一瞥した。
「…大谷は、お前の主の義父ではなかったのか?」
その一言に一瞬目を丸くするが、すぐに苦笑に変わる。
「そういう話も出てるみたいだね」
「では何故あの兵士はお前を襲う?」
「…俺様が上杉の忍びと密通してるのがバレたのかも」
「信用されていないのか」
「さあね、あのお人の考えることは俺様にゃわかんねーよ」
考え込むように空を見上げる男に、ぽつりと言った。
「…まるでお前みたいな奴だったな」
「え、誰が?」
「さっきの兵士だ」
「…俺様は首と体はくっついてるし、もっと良い男でしょ」
「わからないならいい」
とにかく歳なんだから無理はするなよ、と声をかければ、佐助は肩をすくめて困ったように笑った。
「…そういえばさ、首筋に噛み付いてもいい?」
「……意味がわからん」
「いやだからバイオハザードがさ」
良いからさっさと散れと怒鳴れば、“冗談だって”の一声と共に姿を消した。

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