あと2度下げて

残暑の残る外回りからやっと解放され、我が家へと急ぎ足。 きっと家では冷房が効いていて、涼しい中で飲むビールは最高だろうなぁと顔がほころぶ。 マンションのエレベーターを降りて 我が家の扉を開けると、中からは涼しい風が… 来なかった。
「あつっ!」
思わずそう叫ばずにはいられない程に室内は暑い。 むっとむせ返る熱気に疲れがどっと押し寄せる。 正直大して外と変わらない。 むしろ外の方が涼しいんじゃないか? もしかしてかすが、まだ帰ってないのか――― そんな予感とは裏腹に、
リビングにかすがはいた。 扇風機の前に陣取っている。
「かすが」
「ああ、遅かったな」
「…暑くないの?」
「暑くない」
クーラーは…とテーブルの上に無造作に置いてあるリモコ ンを見た。 設定温度29℃。
「暖房じゃん…」
「冷房だ」
節電だからなとつぶやく女をよそに、俺様は汗だくである。
「ね、せめてあと2℃くらい下げない?」
「何を馬鹿な」
「だってさ、俺様今外から入ってきたし、暑いし、スーツだし」
「脱げばいいだろ」
「ガマン大会じゃないんだからさ、ね?」
懇願するも、かすがの視線は冷ややかだ。
「こんな暑さくらいで根を上げていたら砂漠では生きていけないぞ」
「砂漠で生きていく予定ないけど」
「もしもを考えろ、もしもを」
一体何がもしもなのか。悪いけど地球変動が起こったって俺様が生きているうちは東京が砂漠になることはないと確信している。 だったら扇風機くらい俺様へ向けて欲 しいものだ。
「かすがはそんなに我慢強いわけ?」
「当たり前だ」
「ふーん」
扇風機を目の前にして、誇らしげにいう女に少しだけ怒りがわく。
「じゃあ絶対に冷房は下げないわけだ」
「ああ」
「いったね」
「…ああ」
宣戦布告。 俺様の意思を感じ取ったのか、かすがの表情が若干こわばった。 鞄をソファに放り投げ、ネクタイを緩めるとかすがへつかつかと近づいた。
「な、な、何――」
慌てるかすがを無視し、背中から無理やり抱きしめた。
「なっ!」
かすがの背中側は扇風機があたって涼しい。 反対にかすがは俺様の汗で濡れたYシャツが肌にあたってさぞ不快だろう。
「涼しいね」
「離れろ!」
「やだよ、暑いもん」
かすががどけば、という声に敵も俺様の挑戦に気が付いたようだ。
「は、誰が。ここは絶対に動かないぞ」
「どーぞご自由に。俺様だって溶けるまでここにいるからね」
さっきより強く抱きしめれば、うっとうめき声。 こうなったら熱中症で倒れるまで抱きしめてやる。
「汗臭い、離れろ」
「汗が渇くまでこうしてる」
「せめて風呂に入ってこい」
「かすがはいい匂いだよね、風呂上り?」
「お前の匂いが移るだろ」
「いいじゃん、そしたらもっかい一緒に風呂入ろうよ」
「い・や・だ」
「えーいいじゃん。45℃くらいの熱い風呂に入ろう」
もう一度ぎゅっと抱きしめれば、かすがの肩が震えている。 暑さと臭さでもうギブアップだろうか。
「だーーーーー!暑い!!!離れろ!!!」
どうやら、この 勝負は俺様の勝ちみたいだ。
「暑かったら脱げばいいんじゃない?」
節電なんでしょ?と厭味ったらしく言えば終いには殴られた。

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